2015年11月に、首里観音堂での個展を大成功させた天描画家「大城清太」。歴史ある観音堂で400年にして初の展示会を行うという試みや、沖縄タイムス本社ビルの柱13本に巨大な絵を巻きつけた異色の展示会「Pillargallery(ピラーギャラリー)」を行うなど、ウィットに富んだ発想でいつも周りを驚かせている独創的なアーティストだ。
大城清太が描き出す天描画がただのアートではなく、何か奥深いものが息づいているように感じられるのはなぜなのか?作品が生まれる元となった源を探り当てるべく、その真髄に迫るインタビューを決行しました。ハッと気付かされ考えさせられる、彼の深い想いをぜひ感じてみてください。
不必要なものを全部落としたところに残ったのが「点描画」だった
2015年に開催された「大城清太 天描画展in首里観音堂」の様子
ーはじまりをお聞かせください。なぜ点描画を描こうと思ったのですか?
大城:昔はプロのサッカー選手を目指していたのですが大きな怪我をしてしまって。そこからグラフィティー(スプレーアート)のチームの下描きをやるようになり、スプレーの霧の表現を点で表してみたのが始まりですね。20歳の時に趣味として始めたそれと同時に、ブランドプロデュースやデザイナーなど色んなことをやっていたのですが、33歳の時に本気でやってみようと思い立って点描画家としてのスタートをきりました。
ー点描画家として生きようと決めた、大きなきっかけは何だったのでしょうか。
大城:その頃は、フリーランスのデザイナーで仕事も多かったんです。だけどある時、大手の企業さんからデザインの依頼が来て「3日後には仕上げて欲しい」と無茶を言われて…それはできないって答えると「この業界で仕事ができないようになってもいいのか?」と。そんなことを言われるなんてショックで。「今まで何のために自分はデザインをしていたのか」っていう問いかけが心に湧いて出てきたんです。
そうやってモヤモヤとしている時に、ちょうどテレビでビートルズの特集をしていて。CTスキャンの元を開発していた人が資金不足でどうにもならなくて、思い立ってビートルズに助けを求めた所、彼らが所属していた音楽会社EMIが出資したことがきっかけで今のCTスキャンが存在できているんだっていう話をしてたんです。それを見て、彼らのように自分ができることをやって、人を喜ばせたり助けたりできるようなそんな仕事をしたいって思ったんです。
そしたら、ずっと大事に握りしめていた色んな仕事のうち不必要なものが手の平から全部落ちて…最後にひとつだけ残ったのが点描画だったんです。実は、画家になる気なんてホントはなかったんです。だけどそういうきっかけがあって画家を目指すことになった。今は、そのきっかけを作ってくれた大手の企業さんにも感謝してます。だってシフトさせてもらえたんですからね。色んなことがあっても全ては自分がどう受け止めてチェンジしていくか、それでしかないと思います。
ー作品のインスピレーションは、どこから来ているのでしょうか。
大城:自分は糸満の武富(たけとみ)という神人の家系で生まれ育って、ずっと旧暦の暦で動いてきてたんです。小さい頃からオバーによく御嶽に連れて行かれてましたね。絵を描くときは、そんな光景が見えるんです。オバーと小さい頃の自分を、第三者として見ている今の自分がいて。その間にある空間に、動画で絵のイメージが出てくるんです。
その動画をストップして、頭の上に静止した画像から点を降ろしてくる。ひとつひとつの点を紙に降ろし終わると、そのイメージはもうそこから消えて無くなってるんです。頭おかしいんじゃないって言われますけどね(笑)。
人と自然の繋がりを伝えたい、それが作品の一貫したテーマ
ー「点描」ではなく「天描」となっている所以がそういう所にあったんですね。世界的に有名なアーティストなどは、視点が違うという面で少し変わった人が多いと思います。逆に普通ではありきたりのものしか出てこないかもしれないですね。
大城:自分が絵を描くときは、今の世界を完全にシャットアウトするんですよ。出てきたものを素直に模写するために、無の状態になります。それはいわゆる瞑想とかとは違っていて、何もないのではなく、イメージを流す作業をしているということです。有るものをそのまま見る。それを形にする作業をしています。
ーでは、テーマなどはあまり持たずにいつも絵を描き始めるという感じなのですか?
大城:テーマは一貫して決まっています。「人と自然」「命と自然」、この2つが常にテーマで、どの作品もそこからはひとつもブレていないです。普遍的なもの、当たり前のものを形にしたい。人の問題というのはいつも「死」と直結しているんですね、テロとか自然災害とか。
当たり前のものがなくなると全て死と繋がるんですよ、例えば人だと心が無くなるとテロが起こるとか。だったらそうならない為には人としてどう生きたらいいのか。当たり前にある自然とどう向き合ったらいいのか、人と自然の繋がりっていうものを伝えたいというか、それが口頭伝承(口伝)で伝わってきたものなんです。
ー今回のインタビューのキーワードとして「沖縄のスピリチュアリティの原点」ということを伺いたい考えておりましたが、その源はなんだと思われますか?
大城:自然に感謝するということなんじゃないでしょうか。
スピリチュアルっていうのは色んなものがあるじゃないですか、霊的なもの、神的なものとか。
スピリチュアルって聞くと、自分はエゴに聞こえるんですね。例えば占いとかユタとかは、これから先の不安を知りたいから必要になってくるようなものだと思うんです。
オバーに子どもの頃「神様見えるの?」って聞いたら、「あんた見えないのか?」って言われたんです。「目の前にあるよ、木も土も、雲も水も海も見えるもの全部神様だよ」って。スピリチュアルっていうのは自分たちを生かしてくれている当たり前のもの、「他力」に感謝することだと思うんです。他者の力がなければ自分は生まれないですよね、父母の力が働かなかったら今の自分はないわけですから。
空気も吸うし、それには土や木が必要にもなる。たくさんの目に見えるもの、見えないものに守られて成長して、そこからようやく「自力」が生まれてくるんですよ。自分の好きなものを見つけた瞬間、その時に初めて自力が出てくるらしいんです。
全てに感謝すること、それが本当の意味でのスピリチュアルだと思う
大城:常に感謝しているということが沖縄のスピリチュアリティだと思います。神様とか信じてないっていう人も、家にはヒヌカン(火の神)があって、シーミー(先祖のお墓に親戚が集まってお線香やお花、重箱料理をお供えして供養をする沖縄の伝統行事。清明祭)をしてますよね。
日常的にやっていることなんです、目に見えない存在を理解した上で感謝している。それが例えばしきたりとしてではなく、楽しみとして残っているからなおさらなんですね。シーミーなんてピクニックですから(笑)。
全てに感謝することは、世界中にもある先住民的な考え方ですよね。今よく言われている「スピリチュアル」という言葉がエゴと言ったのは、それは自分が助かりたいからとかいい方向に行きたいからとかの判断の為によく使われているからです。そうではなくて内と外に感謝すること。
ーなるほど、日常的なものなんですね。そこに大城さんの、人としてのベースになっているものがあるのでしょうか?
大城:スピリチュアルっていうのは特別なことではなくて。オバーが色んなものと話ができるとしたら、それをみんなは「見えてる」って言うかも知れないけど、それはオバーの役目だから。人にはそれぞれの役目がある。それができるから凄いんではなくて、みんな役目があるから世の中には特別っていうものはないらしいんです。だから「好きなものを見つけて、自分の持っている好きなものでたくさんの人を喜ばせなさい」と。
それが人それぞれの役目なんだとオバーは言っていました。これが今の自分のベースになっている言葉ですね。自分は、そういった先祖からの黄金ことば(くがにくとぅば。人生訓のような謙虚なことば)を、点描という形にしているだけです。その言葉が必要だということは今の世の中がやばいということです、当たり前を知らないということだから。
今の世の中は忙しく、ゆとりのない時代だと思います。だけど沖縄にはゆとりという考え方があり、教えが残っている。人間としての生き方ができている場所だから、スピリチュアルと呼ばれるんでしょうね。
点から線に。大城さんがイメージしている次の表現方法
ー今年出版される予定の本があると伺いましたが、お話を聞かせて頂いてもいいですか。
大城:今回の新作は「命」というテーマで本を出します。オバーの話の中で、数の話があって。人に与えられた数は0から9までなんですね。1が起原で、0が回帰。スタートしてから回帰するまでの道のりをテーマに10枚の新作を描いています。数字の10は命という意味です。
母の中で育つのが十月十日、10作品で十月十日の命の育みの過程を10枚の作品で表現します。そしてこれを10年間プロジェクトで10冊出す予定です。アート寄りではなく読み物として作りたいと思っています。
ーそれがまとまったものが総決算になるということですね。では、それが終わると清太さんの点描画家としての役目は終わるということでしょうか。
大城:たぶんそれが全部やり終わったらもう、点描画家やってないと思いますよ。自分は、小さい時から何度も見続けている夢があるんです。手を眺めていると指が両手に一本ずつ増えて12本になっている。その指の間に筆が10本入っているんです。将来、筆を持っている気がするんですよ。
ー未来には、清太さんの絵が点から線になるんですか?
大城:そうかもしれませんね。筆に持ちかえる時がきたら、掛け軸の絵師になるんじゃないかと。スピリチュアルついでに言うと、その夢の中で右手を空間にかざすと色のついた絵が、左手を空間にかざすと白黒の絵が出てくるんですよ。
点描はあくまでもプロセスなので、将来は筆を使いはじめるんじゃないかなと思ってます。自分はイメージを模写してるだけなので、色がそこに出てきたら色をのせることもあると思います。
ー最近は、点描画家としての活動以外にも「本で森をつくるプロジェクト(環境保全活動)」や「命の種プロジェクト(クリエイティブな経済活動・ONE LOVE)」もされているということですが。
大城:実は、新作の本なんですが2018年2月に出版を延期することにしたんです。もう見積もりも出て完成する間近だったんですけど、「この本は自分の為だけにやっているのではないか」という疑問が湧いてきて。
そんな時に、「木」という漢字がキーワードのように出てきた。なんだろうって思っていたら、木に線を足すと「本」になる。また線を取ると「木」に戻った。そこでハッとして、「本で森をつくろう」って思ったんです。本が一冊売れたら苗木を一本植える。
自分の為だけではなく、作品が動くことによって環境の為になっているというものにしたいと思ったんです。そしてそのベース作りをこの1年間でやろうと。それが「本で森をつくるプロジェクト」です。
クリエイティブな経済活動が、社会貢献に繋がるように
大城:もうひとつの「命の種プロジェクト」は、ONE LOVEというクリエイティブ集団を立ち上げているのですが、クリエイティブ産業を活性化させてその経済活動が社会貢献になるようなプロジェクトをやろうと動いています。
これから先、今までのような「モノ」に支配される時代が終わるのではないかと思っています。競争でモノを作りお金に換えているままでは、心を大事にしないとモノ自体が使えなってくるのではないかと。なのでモノ作りをしている人たちは更に心を磨く必要があると感じているんですね。
ONE LOVEの形もそうなんですけど、今までに自分がやってきたことが今回のセルフプロデュースになっていて、アウトプットのやり方がありそうでなかったものとなっているのではと思っています。
ートータルで色んな角度からやっていらっしゃるんですね。2016年のクリスマスには、沖縄ファミリーマートのTVCMにも登場しておられたのですが、その経緯や周りの反応はどんな感じでしたか?
大城:「モモト」という沖縄の雑誌の別冊で「天大城清太の特集号」を出したばかりなんですが、それをコンビニに置くかどうかの話をしていた所でちょうどそんなお話を頂いて。
特集号自体は結局本屋のみで置くという形になったのですが、そういった不思議な縁の繋がりがあって実現したコマーシャルの話なんです周りの反応はというと、自分の子どもたちがとても喜んでくれましたね。家族みんなで出演させてもらっていい思い出ができたというか、それが嬉しかったです。
ーでは最後に、大城さんのこれからの展望をお聞かせ下さい。
大城:これからの展望…そうですね。自分はただ、絵を描くだけですからね。これが面白いなって思ったらやる、それだけです。
取材を終えて
深く考えさせられるお話をしてくれた大城清太さん。インタビューを終え、「木」と並んだ写真を写させてもらった。木に触れることはよくあるのですかと聞くと、自宅近くにお気に入りの木があるとのこと。
目をつぶり木に触れながらそのフォルムを感じている大城さんは、まるで何か大切な会話をしているかのようだった。「触ることによってその姿を知ると、目で見るのとは違った見方ができるんです。昔の人は、手の平の目で見て物を感じ取っていたそうで、自分もよくそうしてます。」だから大城さんの点描画から感じられるものは平面的なものではなく、動いているかのような軌跡なのかも知れない。
立体的に、そして本質的に物を感じ取っていることが表現にもそのまま現れてきているのだろう。大城さんの感性の中にきっと、触れた手から伝わる木肌や温度、水を吸い上げるエネルギーまでをも知るようなプロセスが含まれているのだ。天描画家・大城清太を形作っている沖縄のスピリチュアリティは、天から降ろされる点の美しい集合体となって、あなたの前にその姿を現している。
【プロフィール】大城清太
1973年沖縄県糸満市に生まれる。高校卒業後ハワイに留学し、独学で「点描」をはじめる。1995年帰沖。1996年沖縄県立芸術大学デザイン工芸学科デザイン専攻入学。卒業後、デザイナー・ ブランドプロデューサーを経て2005年より天描画家として活動を行う。
ライター:ワードワークス沖縄 Hinata (吉岡 陽)
HP: https://okinawa-wordworks.jimdo.com/staff/