2016.10.12

「沖縄の唄や三線を数百年先に繋いでいく」そんな想いのもと宮沢和史が取り組む2つのプロジェクトとは?


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まだ夏の暑さが残る日、約束の時間より少し早めに沖縄県中部に位置する読谷村(よみたんそん)に入り、ロケハン(撮影場所を捜すこと)をすることになった。

そして辿り着いたのが「沖縄戦前戦後生活文化館」と書かれた赤瓦の古民家。「100年先の平和を願う」活動を聞く場所として、巡り合わせの良い場所だと感じた。三線を片手に「タンタンタンタン♪」と軽やかな音を奏でながら歩く、音楽家・宮沢和史(みやざわかずふみ)氏。

縁側にそっと腰を下ろし三線の上部にある「カラクイ」を回し調弦をしながら、取材を受けるための呼吸を整えているようだった。古民家に流れる空気と、三線のやわらかな音がうまく調和してきた頃、宮沢さんが始めた『くるちの杜100年プロジェクト』についての取材が始まった。

 

100年先の三線の未来をつくる「くるちの杜(もり)」

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ーくるちの杜100年プロジェクトとはどんなプロジェクトでしょうか?

宮沢:沖縄文化の象徴のひとつである「三線」は、黒木(くるち)という木を使って棹(さお)を作っています。昔は沖縄で育った黒木で作っていたのですが、いまでは県内で採ることが出来ず、輸入品に頼っている状態なんです。そこで、沖縄県産の黒木で作られた三線がスタンダードになる未来を考えて、黒木を植樹して育てるプロジェクトを始めました。

DSC_1725_1読谷村座喜味城跡公園内に植えられた黒木

ーこのプロジェクトを始めようとしたきっかけはどんなことだったんでしょうか?

宮沢:このプロジェクトが始まった年は「島唄」という曲を発表してちょうど20年目に当たります。沖縄への感謝の気持ちを込めて作った唄なんですが「島唄が記録的なヒットをしたおかげで三線ブームが来てね、沖縄以外の日本各地や海外まで三線を求めてくる人が絶えなくなったよ。だから沖縄の黒木が激減しちゃってね。今はほとんどが輸入で作ってるんだよ。」って、三線職人の方に言われたんです。

もちろん冗談まじりなんですけど『人がすることには全てに功罪(良い点と悪い点)がある。ひょっとしたら僕らの行為によって、ちゃんとした素材が、ちゃんとした奏者の手に渡っていないとしたら。』って、すごく考えちゃったんです。

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ー実際にどのように進んでいきましたか?

宮沢:はじめは一人で植えていこうと思っていたんです。ただ黒木はね、成長するのに100年かかると言われている。自分だけの思いで植えてるだけではどうにも広がらない。自分たちや次の世代に繋げる活動にするには大きな活動にする必要があると考えました。

そこで当時、沖縄県文化観光スポーツ部長だった平田大一さんに相談すると、読谷村を中心に幾つかの団体の方々が同じ思いで座喜味城跡公園の一画に黒木を植えた話を伺いました。

ただ、植えてはみたものの手入れが大変でそのままの状態になっている。まずはその黒木を見てみようと背丈ほどの生い茂る雑草を刈ったらね、ちゃんと生きていたんです。さすが逆境に強いと言われているだけあるなと感心しました。厳しい環境を耐えぬいた黒木ほど、固くて質がいいと言われてるんですよ。読谷村の方たちや村長さんにお話して理解いただき、100年先にこの辺りが黒木で溢れている情景を僕らみんなで思い描こうと、その場所を拠点に「くるちの杜」がたちあがりました。

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地域の人たちと作り上げる「くるちの杜」の活動内容とは

ー具体的な活動内容についてお聞かせ下さい

DSCF4071_1くるち草刈り集合写真(16.6.26より)©「くるちの杜100年プロジェクト実行委員会」

宮沢:読谷村のみなさん、三線組合、平田さん、プロジェクトに賛同して下さってる会員さんと、毎月くるちの杜の草刈りをしています。もちろん僕も沖縄にいる時は出来る限り参加しています。

そして、旧暦の9月6日を「くるちの日」として「育樹祭」を行っています。また、2年に1度は読谷村内の音楽愛好家や僕の民謡仲間が集って「三線」や「くるち」について考える「くるちの杜音楽祭」を開催しています。今年は10月23日(日)、読谷村で開催される座喜味城通りふれあい祭りで活動報告やPRを行ないます。是非みなさん遊びにきて下さい。

ー今後の課題はなんですか?

既に3000本近く植樹しているのですが、この木が生育するまでに100年かかるので楽器を作るための植樹をどのようにしていくかは今後検討していかなくてはいけません。今は読谷村がメインですが、今後は県内全域に活動を広げて、黒木があふれているエリアを増やしていくのも課題のひとつです。

 

地域に根付く沖縄民謡を音源にして未来に繋ぐ、もう一つの取り組み

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©唄方プロジェクト

ーくるちの杜100年プロジェクトと同時に沖縄民謡を収集して録音する活動を始められたと伺いましたが、そのことについてお聞かせ下さい。

宮沢:20代の頃から影響を受けた「沖縄民謡」を録音して「音の教科書」を、いつか作りたいという気持ちが以前からあったんです。でも、いつかやりたいって気持ちは色々な理由をつけて先延ばしになってしまう。そんな時に起きたのが2011年の東日本大震災です。「いつか」という曖昧な言葉の儚さに初めて心と向き合い、生きている人間として自分が何をしたら良いかと考えたら、今がその「いつか」なんだろうと思いました。

それから一人ずつアプローチして、演奏をお願いしながら収録を始めました。2012年から4年間で、およそ250名の演者に依頼して269曲を録音しました。その中から245曲を選び『沖縄宮古八重山民謡大全集①唄方~うたかた~ 』として17枚組のCDにまとめ、すべての曲に僕の簡単な解説を付けています。このCDは沖縄県内の中学、高校、大学、特別支援学校、図書館に寄贈するので、県内の方なら誰にでも気軽に音に触れることが出来ます。

ーこの活動はお一人でされたんですか?

宮沢:最初は僕の個人的な思いで始めていました。プロジェクトを進めるなかで色んな方と話していくうちに、キャンパスレコードの備瀬さん、知名定男さん、大工哲弘さんなど数々の著名な演者が賛同して下さり、想像以上に多くの音を収録することが出来ました。

こんな規模のことは僕ひとりでは到底出来なかったはずです。また、くるちの杜と同様に平田さんが発起人になってCDの製作費を支援する「唄方プロジェクト」という、新たな取り組みも行いました。

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ーこの活動に込められた思いをお聞かせ下さい。

宮沢:日本の多くの民謡が過去に作られたものを歌い継ぐのに対して、沖縄民謡は過去にとどまることがないんです。新しい民謡がどんどん生まれていく。10~20代の若者が志を持って民謡の世界に興味を示していて、そこにものすごい可能性を感じています。

沖縄の素晴らしい点は民謡を学ぶ環境が整っていて、門さえ叩けばいつでも民謡の世界へ飛び込める。反面、40~50代の僕らの世代は方言礼や音楽のグローバル化などの影響から民謡に携わる人が少ない。昔唄(戦前から伝わる民謡)を知っている世代の方が残る今だからこそ、未来の若者に聞かせる音を残したいと強く思いました。

もちろん工工四(くんくんしー:三線専用の譜面)は残ります。でも、民謡には「息づかい」「間のとり方」など文字だけで伝えきれない部分がたくさんある。本来は僕らの世代で繋げるはずのところに空洞化が起きている。でも、この『音の教科書』を手本にして未来の子供たちが「新しい民謡」を生み出してくれると確信しています。

 

数百年先まで「島の宝」を繋いでいきましょう

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ー最後にファミマガの読者に向けてメッセージをお願いします。

宮沢:沖縄で暮らす皆さんにとって、この島に素晴らしい唄があり、芸能があり、工芸があることが当たり前の環境の中で、自分の暮らす場所が「宝の島」だと意識することは少ないかもしれません。もっともっと島を知ってほしい。そしてあなた方でその宝を他県の人、海外の人に語ってほしい。他の地域と同じで良いと満足することがたやすい時代に僕らは生きているけれど、この島にある宝に誇りを持ってほしいです。

不安定な事が世の中に溢れていて、なかなか明るい未来が描きづらいかもしれません。しかし、どんな時も、沖縄の人たちは唄を生み出してきた。唄うことで乗り越えてきた歴史がある。それこそが沖縄のアイデンティティ。100年先、200年先に島の宝である唄や三線を僕たちと一緒に繋いでいきましょう。100年後に黒木が育っていたら、それは100年平和だったという証になる。沖縄のあらゆる場所に黒木が溢れ、島の唄が歌い継がれている未来に「僕たちの願い」の川が流れているという確信を持って。

そして、沖縄に訪れたことのない人や住んでいない方々へ。機会があれば、是非沖縄の旧暦行事に合わせて沖縄に旅してみてください。民謡酒場もたくさんあるし、生の民謡を聴き、唄い手たちと言葉を交わしてみてください。その土地に根付く文化や芸能、民謡の心に触れてほしいと思います。

 

取材を終えて

沖縄では、デイゴの花がたくさん咲くと台風の当たり年という言い伝えがある。「島唄には、デイゴの花が咲き 風を呼び 嵐が来たというフレーズがあって、この嵐は沖縄戦がやってきたことを唄ってるんだけど、1945年に沖縄戦が始まった読谷村ではやっぱりデイゴが咲き乱れていたんだろね。」と宮沢さんがふとつぶやいた。

「島唄」から始まった「くるちの杜」の物語が読谷村で産声を上げることは誰も想像していなかったであろう。でも、取材を終えてみれば、ここから始めるのがごく自然な流れなんだろうと感じた。「いつか」という時間の儚さと、ものごとの「功罪」にていねいに向き合うこと。それが、思いを未来へ繋ぐための秘訣なのだろう。

来る10月23日(日)に開催される座喜味城通りふれあい祭りステージにて、「くるちの杜プロジェクト」のPR活動があります。屋台村のおいしいごはんに、子供たちの演舞、民謡、エイサー盛りだくさん。是非楽しみながら、宮沢さんたちの活動に触れてみて下さい。

 

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座喜味城通り ふれあい祭り

[日時]2016年10月23日(日)12:00~20:00
[場所]読谷村座喜味城通り座喜味公民館(MAP
[入場料]無料

■くるちの杜100年プロジェクト
[Facebook]https://www.facebook.com/kuruchinomori/

■唄方プロジェクト(※支援申込みの受付は締め切りました)
[Facebook]https://www.facebook.com/utakataproject/


【プロフィール】
宮沢和史(みやざわかずふみ)

音楽家。元THE BOOMのボーカリスト。世界中の多くの人を魅了させ、たくさんの人によって歌い継がれている「島唄」の作詞・作曲者として知られている。「島唄」が産声を上げて20周年を機に、三線の材料となる黒木を植えるプロジェクト「くるちの杜100年プロジェクト」を発足し、名誉会長となる。同時に200曲以上の沖縄民謡の音源を記録し、音の教科書として17枚組のCDにまとめ、県内教育機関、国内外の県人会等に寄贈を予定。

ライター:monobox株式会社(河野哲昌・こずえ)
HP:http://www.monobox.jp/

 

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